ジム ダン: ドラッグレーシング レジェンド
Author: James Maxwell
実際の記事(英語)は、こちらから写真付きでご確認いただけます。
https://www.dodgegarage.com/news/article/racing/2025/01/jim-dunn-drag-racing-legend.html
翻訳版:
・才能あるドライバー、尊敬されるチューナー、成功したカーチームオーナー、そして新たなドライバーの指導者
・ドラッグレース界に70年以上にわたり貢献
・2024年 NHRA生涯功労賞 受賞
「16歳のときに始めたんだ。高校時代、レースができる場所は街中だけで、主にアナハイム(カリフォルニア州)のボールロードだった。NHRAができる前の話さ。ドラッグレースを本格的に体験したのは、1950年代にサンタアナ(南カリフォルニアのドラッグストリップ)がオープンしたときだった。」
Jim Dunn、ドラッグレースに夢中になったきっかけを語る
1934年生まれのJim Dunnは、10代の頃から車に夢中で、15歳のときに初めてエンジンを組み立てた。「父が誕生日に何が欲しいか聞いてきたので、『カムシャフトと3連キャブレター』と答えたんだ。でも条件があって、それを自分で取り付けること。それが車いじりの始まりさ。」と振り返る。19歳のとき、アート・クリスマンや他のレース界の先駆者たちと交流を持ち、彼らの指導を受けた。「ドラッグレースに恋をしたよ。それ以来、毎日、サーキットやガレージにいるのが楽しくて仕方なかった。」とDunnは語る。
NHRAでの初勝利は1963年と1964年のウィンターナショナルズ。Dunn-Merritt-Velasco のスーパーチャージャー付き小型ブロック・シボレーエンジン搭載のフィアットで参戦し、90インチのホイールベースを持つそのマシンは「人生で最も運転の難しい車だった」と言う。 また、AA/FAクラスのレースでは、ベーカーズフィールドでも2度の優勝を果たした。1964年シーズン後、Dunnはチームメイトを説得し、エンジンをドラッグスターに載せ替えたが、すぐによりパワフルなHEMI®エンジンへと移行。「僕の車は軽かったからHEMI勢よりもスタートは速かった。でもニトロの割合を20%程度に抑えなきゃいけなくて、結局HEMIに追い抜かれてしまったんだ。」と回想する。
これはDunnが友人の Joe Reath とともに走らせた最初期のHEMIエンジン搭載トップフューエル・ドラッグスターの一つで、鮮やかなキャンディパールの塗装が施され、角度によって色が変わることから「レインボー カー」と呼ばれた。1969年には、100台以上のエントリーがあった Bakersfield March Meet で優勝し、NHRAディビジョン7のトップフューエルタイトルも獲得。 「ライオンズ・ドラッグストリップ(通称 'ザ・ビーチ')でトップフューエルを走らせるなら、レコードのコンマ1秒以内のタイムじゃないと予選通過もできなかった。」とDunnは語る。「それで僕はファニーカーを作ることに決めたんだ。」
BARRACUDA: FIRST FUNNY CAR
最初のファニーカー「最初のファニーカーは軽量なバラクーダだった。赤い塗装はガラス繊維に混ぜ込まれ、白いストライプは型の継ぎ目を隠すためだけに塗ったんだ。」シャーシはウッディ・ギルモアが製作。「とにかく軽量に、高速ギア専用で、素早くギア交換(リア エンド)できる仕様にしたかった。」ボディは“Mr. Ed”が製作。
シンプルで無駄のない設計。余計な装備はなく、超軽量なダイレクトドライブ。短いリアギア比のせいで最高速は他のマシンほど出なかったが、その軽量さのおかげで加速は非常に速かった。アーウィンデール・レースウェイで6秒台を記録した最初のファニーカーとなった。シャーシ重量は約600ポンド(約272kg)。
搭載されたエンジンは1958年製クライスラーHEMIの392立方インチ(約6.4L)モデルで、0.030インチのボアアップと1/4インチのストロークを追加。ENGLE 169レースカム、Venolia 製ピストン、Howard製ロッド、Joe Mondelloがポート加工したシリンダーヘッド、GMCブロワー( Neil Leffler製作)、エンダーレ3ポートインジェクター、ダDoug Thorley製作 “zoomie” ヘッダー、Schiefer 製11インチフライホイールとクラッチ、4.57:1のリアギア比を採用。
「経済的でシンプルなドラッグスター的アプローチのファニーカーだった。四分の一マイルで6.80秒。製作費はわずか3,500ドルだった!」
ミッドウェストへの夏のツアーで、Dunnはウィスコンシン州ユニオン・グローブで車をスタンバイさせる準備をしており、スタートラインには息子のマイク・Dunn少年の姿も。「マイク(息子)は、5歳の頃からずっと僕の全車に関わっていた。アルコール燃料のマシンでライセンスを取ったんだ。機械の才能が僕に似ていたな。腕が良くなってきたら給料を要求するようになった。でも僕は誰にも給料を払わない主義だったから、Roland [Leong] に『17歳で20年の経験があるクルーが欲しいか?』と聞いたら、『よこせ』ってさ。」
「最初のレースでは、Manufacturers Meet で low e.t.(最速タイム)を記録した。僕にとってファニーカーの運転は簡単だった。オルタードカーとドラッグスターの中間のような感覚だった。」
「このマシンは、フレームレールの上にヘッダーを配置した最初のクルマのひとつだった。レース間の作業でシリンダーヘッドを交換するのが簡単すぎて、みんな驚いてたよ。」
REAR-ENGINED FUNNY CAR
リアエンジン・ファニーカー「アイデアを出したのはシャーシビルダーの Woody Gilmore だった。トップフューエル・ドラッグスターのリアエンジン化が進む中で、ファニーカーにも同じコンセプトを持ち込もうとしたんだ。」最初はルーフ上にエアスクープを装着したが、NHRAの規定により認められなかった。
1972年のNHRAスーパーナショナルズ(オンタリオ・モータースピードウェイ)では、6.44秒のET(エリミネーション・タイム)を記録。1回戦では Don Prudhomme をホールショットで下し、決勝では Pat Foster の速いマシンと対戦。Foster がフライングスタート(レッドライト)したため Dunn が勝利。「このユニークな設計のマシンで優勝(1972年 NHRAスーパーナショナルズ)できたことは最高の気分だった。」
ライオンズ・ドラッグストリップでの初走行前にDunn は Woody に聞いた。「フロントにどれくらいの重りを載せるべき?」Woody は「必要ない」と答えた。実際の走行では、スタート直後にフロントが4フィート(約1.2m)浮き上がった。ピットに戻って「10ポンド(約4.5kg)くらい載せるべきか?」と聞いたら、「100ポンド(約45kg)載せろ」と言われ、初期のシェイクダウン走行で、6.91秒のタイムスリップを記録した。「フロントガラスにあったハッチは非常脱出口として使うつもりだった。すぐに外せるようにハンダ付けされていた。ドライバーの背後にはアルミ製の壁を設置し、安全対策を施した。」
Dunn は、1972年ウィンターナショナルズでは「Best Engineered 賞」を受賞。写真にはNHRA副会長の Jack Hart からトロフィーを受け取る姿が映っている。彼は予選を通過し、競技の第1ラウンドで勝利した。
こちらは1972年初頭、OCIR(Orange County International Raceway)のドラッグストリップの終点で撮影された写真です。Don Kirby のボディは後方に持ち上がってエンジンの整備ができるだけでなく、前方にも持ち上がることでドライバーが乗り降りできる設計でした。シャーシは125インチのホイールベースを持ち、フロントにはトーションバー式サスペンションを採用。Halibrand 製リアエンドには4.52:1のギア比が使用され、車両全体の重量は1,810ポンド(約821kg)とされています。ボディはキャンディアップルレッドのエナメル塗装で仕上げられ、Kenny Youngblood による黄色とゴールドリーフのレタリングが施されていました。
エンジンに空気を供給する方法が課題となりました。最初はHEMIエンジンの真上にスクープを取り付けるのが自然なアイデアに思えましたが、NHRAはその案を認めませんでした!
そのため、エンジンに空気を送るための大型プラスチック製のチューブを2本設置。最初はフロントウィンドウの外側に突き出る形でしたが、後にトリム調整されフラッシュフィット(車体と一体化)する形になりました。この車の操縦には、Jim Dunn がホイールベースの短いオルタードカーで培ったすべてのスキルを必要としました。「4回連続でまっすぐ走るんだけど、5回目で突然左に曲がる。また4回はまっすぐ行くけど、次は右に行く。すごく怖かった。何の前触れもなく、理由もなく動きが変わるんだ。」と Dunn は語っています。
Jim Dunnは長年信頼するパーツサプライヤーを使用しており、Venolia Pistons, Doug Thorley Headers, Engle Cams, Scott Clutches and Autolite Spark Plugs を採用していました。Race Car Engineering は、Woody Gilmore のシャーシ ショップの名前だった。
この車がバーンアウトを行うと、ものすごい量の煙が噴き出すことで有名でした!
Jim Dunnは、長年にわたり西海岸のドラッグレースシーンで活躍していました(昼間は消防士として働きながら、レース活動を続けていました)。特にアーウィンデールやオレンジ・カウンティ・インターナショナル・レースウェイ(OCIR)などの地元のトラックでマッチレースを数多くこなしました。1972年にはHang Ten 500で準優勝(予選でルーフを失うトラブルがありながらも健闘)。翌1973年には、名誉あるGrand Premiereで優勝を果たしました。
BLUE CAR
この車の青いバージョンは、1973年10月14日にカリフォルニア州フリーモントで開催されたAHRA(American Hot Rod Association)グランド・アメリカン・ワールド・チャンピオンシップで優勝。6.61秒 / 最高速度215.85mph(約347.4km/h)というタイムを記録しました。
STAR OF FUNNY CAR SUMMER MOVIE
1974年の映画『Funny Car Summer』は、ブルース・ブラウン(Bruce Brown)の映画『エンドレス サマー(Endless Summer)』や『栄光のライダー(On Any Sunday)』の精神を受け継ぎ、ロン・フィリップス(Ron Phillip)監督によって制作されたドキュメンタリー映画である。この映画は、ドラッグレーサーのJim Dunnとその家族の夏の生活を追った作品で、Dunnは1年のうち9か月はカリフォルニア州ロサンゼルスの消防士として働いていた。実はこの映画の構想は、監督の12歳の息子 Alex Phillips によるものであり、映画のタイトルも彼が考案した。アレックスは大のドラッグレースファンであり、特にファニーカーが大好きだったため、映画の技術アドバイザーも務めた。
父親が長編映画を作りたがっていたことを知っていたアレックスは、ドラッグレースを題材にすることを提案。複数のファニーカードライバーを候補に考えた末、Jim Dunnを主役に選んだ。制作会社は1972年のメモリアルデーにカリフォルニア州イーストアーバインのオレンジ・カウンティ・インターナショナル・レースウェイ(OCIR)を訪れ、Dunn の新型リアエンジン・ファニーカーのテスト映像を撮影。しかし、その新型マシンがドラッグストリップを全開走行していたところ、突然ルーフ部分が吹き飛ぶアクシデントが発生。その迫力に惹かれた制作陣は、すぐに本格的な撮影を開始する決断を下した。映画の上映時間は1時間28分で、現在でもカーマニアの間で「カルト クラシック」として語り継がれている。
SATELLITE FUNNY CAR
1975年2月号の『Super Stock & Drag Illustrated』の表紙を飾ったのは、 Dunn & Reath Plymouth Satellite Funny Car だった。「当時のマシンの中でも、最も洗練されていてコンパクトな一台だった」と、Jim Dunn は2000年に『National Dragster』のインタビューで語っている。ボディが持ち上がった状態の写真では、最新型の426 HEMIエンジンに切り替えられていることが確認できる。このエンジンには、Reath製の1/2インチストローカークランクシャフトが装着され、総排気量は484キュービックインチ(約7.9L)、2速トランスミッションが組み合わされていた。そして1977年には、このサテライトは「Dunn & Velasco」のエントリーとして参戦。Jim Dunnは長年の友人である Henry Velasco とタッグを組み、このマシンを走らせた。写真はその頃の OCIR での姿である。
REAR-ENGINED CAR FOUND AND RESTORED
最近になって、Dunn & Reathの rear-engined Barracuda Funny Car が発見され、修復された。この車は現在、Al Welch(カナダ、アルバータ州カルガリー出身)が所有している。
DUNN & REATH DIECAST
1320, Inc.の「The Floppers」ダイキャストシリーズの一部として、この1971年バラクーダ・ファニーカー(#1203)の1:24スケールの詳細なレプリカが生産され、限定5000台で販売されました。現在でも、eBayなどの場所で見つけることができます。
Author: James Maxwell
実際の記事(英語)は、こちらから写真付きでご確認いただけます。
https://www.dodgegarage.com/news/article/racing/2025/01/jim-dunn-drag-racing-legend.html
Jim Dunn Racing Legend Part 2 はこちら
https://www.mooneyes.co.jp/jim-dunn-drag-racing-legend-part-2/(日本語版)
・才能あるドライバー、尊敬されるチューナー、成功したカーチームオーナー、そして新たなドライバーの指導者
・ドラッグレース界に70年以上にわたり貢献
・2024年 NHRA生涯功労賞 受賞
「16歳のときに始めたんだ。高校時代、レースができる場所は街中だけで、主にアナハイム(カリフォルニア州)のボールロードだった。NHRAができる前の話さ。ドラッグレースを本格的に体験したのは、1950年代にサンタアナ(南カリフォルニアのドラッグストリップ)がオープンしたときだった。」
Jim Dunn、ドラッグレースに夢中になったきっかけを語る
1934年生まれのJim Dunnは、10代の頃から車に夢中で、15歳のときに初めてエンジンを組み立てた。「父が誕生日に何が欲しいか聞いてきたので、『カムシャフトと3連キャブレター』と答えたんだ。でも条件があって、それを自分で取り付けること。それが車いじりの始まりさ。」と振り返る。19歳のとき、アート・クリスマンや他のレース界の先駆者たちと交流を持ち、彼らの指導を受けた。「ドラッグレースに恋をしたよ。それ以来、毎日、サーキットやガレージにいるのが楽しくて仕方なかった。」とDunnは語る。
NHRAでの初勝利は1963年と1964年のウィンターナショナルズ。Dunn-Merritt-Velasco のスーパーチャージャー付き小型ブロック・シボレーエンジン搭載のフィアットで参戦し、90インチのホイールベースを持つそのマシンは「人生で最も運転の難しい車だった」と言う。 また、AA/FAクラスのレースでは、ベーカーズフィールドでも2度の優勝を果たした。1964年シーズン後、Dunnはチームメイトを説得し、エンジンをドラッグスターに載せ替えたが、すぐによりパワフルなHEMI®エンジンへと移行。「僕の車は軽かったからHEMI勢よりもスタートは速かった。でもニトロの割合を20%程度に抑えなきゃいけなくて、結局HEMIに追い抜かれてしまったんだ。」と回想する。
これはDunnが友人の Joe Reath とともに走らせた最初期のHEMIエンジン搭載トップフューエル・ドラッグスターの一つで、鮮やかなキャンディパールの塗装が施され、角度によって色が変わることから「レインボー カー」と呼ばれた。1969年には、100台以上のエントリーがあった Bakersfield March Meet で優勝し、NHRAディビジョン7のトップフューエルタイトルも獲得。 「ライオンズ・ドラッグストリップ(通称 'ザ・ビーチ')でトップフューエルを走らせるなら、レコードのコンマ1秒以内のタイムじゃないと予選通過もできなかった。」とDunnは語る。「それで僕はファニーカーを作ることに決めたんだ。」
BARRACUDA: FIRST FUNNY CAR
最初のファニーカー「最初のファニーカーは軽量なバラクーダだった。赤い塗装はガラス繊維に混ぜ込まれ、白いストライプは型の継ぎ目を隠すためだけに塗ったんだ。」シャーシはウッディ・ギルモアが製作。「とにかく軽量に、高速ギア専用で、素早くギア交換(リア エンド)できる仕様にしたかった。」ボディは“Mr. Ed”が製作。
シンプルで無駄のない設計。余計な装備はなく、超軽量なダイレクトドライブ。短いリアギア比のせいで最高速は他のマシンほど出なかったが、その軽量さのおかげで加速は非常に速かった。アーウィンデール・レースウェイで6秒台を記録した最初のファニーカーとなった。シャーシ重量は約600ポンド(約272kg)。
搭載されたエンジンは1958年製クライスラーHEMIの392立方インチ(約6.4L)モデルで、0.030インチのボアアップと1/4インチのストロークを追加。ENGLE 169レースカム、Venolia 製ピストン、Howard製ロッド、Joe Mondelloがポート加工したシリンダーヘッド、GMCブロワー( Neil Leffler製作)、エンダーレ3ポートインジェクター、ダDoug Thorley製作 “zoomie” ヘッダー、Schiefer 製11インチフライホイールとクラッチ、4.57:1のリアギア比を採用。
「経済的でシンプルなドラッグスター的アプローチのファニーカーだった。四分の一マイルで6.80秒。製作費はわずか3,500ドルだった!」
ミッドウェストへの夏のツアーで、Dunnはウィスコンシン州ユニオン・グローブで車をスタンバイさせる準備をしており、スタートラインには息子のマイク・Dunn少年の姿も。「マイク(息子)は、5歳の頃からずっと僕の全車に関わっていた。アルコール燃料のマシンでライセンスを取ったんだ。機械の才能が僕に似ていたな。腕が良くなってきたら給料を要求するようになった。でも僕は誰にも給料を払わない主義だったから、Roland [Leong] に『17歳で20年の経験があるクルーが欲しいか?』と聞いたら、『よこせ』ってさ。」
「最初のレースでは、Manufacturers Meet で low e.t.(最速タイム)を記録した。僕にとってファニーカーの運転は簡単だった。オルタードカーとドラッグスターの中間のような感覚だった。」
「このマシンは、フレームレールの上にヘッダーを配置した最初のクルマのひとつだった。レース間の作業でシリンダーヘッドを交換するのが簡単すぎて、みんな驚いてたよ。」
REAR-ENGINED FUNNY CAR
リアエンジン・ファニーカー「アイデアを出したのはシャーシビルダーの Woody Gilmore だった。トップフューエル・ドラッグスターのリアエンジン化が進む中で、ファニーカーにも同じコンセプトを持ち込もうとしたんだ。」最初はルーフ上にエアスクープを装着したが、NHRAの規定により認められなかった。
1972年のNHRAスーパーナショナルズ(オンタリオ・モータースピードウェイ)では、6.44秒のET(エリミネーション・タイム)を記録。1回戦では Don Prudhomme をホールショットで下し、決勝では Pat Foster の速いマシンと対戦。Foster がフライングスタート(レッドライト)したため Dunn が勝利。「このユニークな設計のマシンで優勝(1972年 NHRAスーパーナショナルズ)できたことは最高の気分だった。」
ライオンズ・ドラッグストリップでの初走行前にDunn は Woody に聞いた。「フロントにどれくらいの重りを載せるべき?」Woody は「必要ない」と答えた。実際の走行では、スタート直後にフロントが4フィート(約1.2m)浮き上がった。ピットに戻って「10ポンド(約4.5kg)くらい載せるべきか?」と聞いたら、「100ポンド(約45kg)載せろ」と言われ、初期のシェイクダウン走行で、6.91秒のタイムスリップを記録した。「フロントガラスにあったハッチは非常脱出口として使うつもりだった。すぐに外せるようにハンダ付けされていた。ドライバーの背後にはアルミ製の壁を設置し、安全対策を施した。」
Dunn は、1972年ウィンターナショナルズでは「Best Engineered 賞」を受賞。写真にはNHRA副会長の Jack Hart からトロフィーを受け取る姿が映っている。彼は予選を通過し、競技の第1ラウンドで勝利した。
こちらは1972年初頭、OCIR(Orange County International Raceway)のドラッグストリップの終点で撮影された写真です。Don Kirby のボディは後方に持ち上がってエンジンの整備ができるだけでなく、前方にも持ち上がることでドライバーが乗り降りできる設計でした。シャーシは125インチのホイールベースを持ち、フロントにはトーションバー式サスペンションを採用。Halibrand 製リアエンドには4.52:1のギア比が使用され、車両全体の重量は1,810ポンド(約821kg)とされています。ボディはキャンディアップルレッドのエナメル塗装で仕上げられ、Kenny Youngblood による黄色とゴールドリーフのレタリングが施されていました。
エンジンに空気を供給する方法が課題となりました。最初はHEMIエンジンの真上にスクープを取り付けるのが自然なアイデアに思えましたが、NHRAはその案を認めませんでした!
そのため、エンジンに空気を送るための大型プラスチック製のチューブを2本設置。最初はフロントウィンドウの外側に突き出る形でしたが、後にトリム調整されフラッシュフィット(車体と一体化)する形になりました。この車の操縦には、Jim Dunn がホイールベースの短いオルタードカーで培ったすべてのスキルを必要としました。「4回連続でまっすぐ走るんだけど、5回目で突然左に曲がる。また4回はまっすぐ行くけど、次は右に行く。すごく怖かった。何の前触れもなく、理由もなく動きが変わるんだ。」と Dunn は語っています。
Jim Dunnは長年信頼するパーツサプライヤーを使用しており、Venolia Pistons, Doug Thorley Headers, Engle Cams, Scott Clutches and Autolite Spark Plugs を採用していました。Race Car Engineering は、Woody Gilmore のシャーシ ショップの名前だった。
この車がバーンアウトを行うと、ものすごい量の煙が噴き出すことで有名でした!
Jim Dunnは、長年にわたり西海岸のドラッグレースシーンで活躍していました(昼間は消防士として働きながら、レース活動を続けていました)。特にアーウィンデールやオレンジ・カウンティ・インターナショナル・レースウェイ(OCIR)などの地元のトラックでマッチレースを数多くこなしました。1972年にはHang Ten 500で準優勝(予選でルーフを失うトラブルがありながらも健闘)。翌1973年には、名誉あるGrand Premiereで優勝を果たしました。
BLUE CAR
この車の青いバージョンは、1973年10月14日にカリフォルニア州フリーモントで開催されたAHRA(American Hot Rod Association)グランド・アメリカン・ワールド・チャンピオンシップで優勝。6.61秒 / 最高速度215.85mph(約347.4km/h)というタイムを記録しました。
STAR OF FUNNY CAR SUMMER MOVIE
1974年の映画『Funny Car Summer』は、ブルース・ブラウン(Bruce Brown)の映画『エンドレス サマー(Endless Summer)』や『栄光のライダー(On Any Sunday)』の精神を受け継ぎ、ロン・フィリップス(Ron Phillip)監督によって制作されたドキュメンタリー映画である。この映画は、ドラッグレーサーのJim Dunnとその家族の夏の生活を追った作品で、Dunnは1年のうち9か月はカリフォルニア州ロサンゼルスの消防士として働いていた。実はこの映画の構想は、監督の12歳の息子 Alex Phillips によるものであり、映画のタイトルも彼が考案した。アレックスは大のドラッグレースファンであり、特にファニーカーが大好きだったため、映画の技術アドバイザーも務めた。
父親が長編映画を作りたがっていたことを知っていたアレックスは、ドラッグレースを題材にすることを提案。複数のファニーカードライバーを候補に考えた末、Jim Dunnを主役に選んだ。制作会社は1972年のメモリアルデーにカリフォルニア州イーストアーバインのオレンジ・カウンティ・インターナショナル・レースウェイ(OCIR)を訪れ、Dunn の新型リアエンジン・ファニーカーのテスト映像を撮影。しかし、その新型マシンがドラッグストリップを全開走行していたところ、突然ルーフ部分が吹き飛ぶアクシデントが発生。その迫力に惹かれた制作陣は、すぐに本格的な撮影を開始する決断を下した。映画の上映時間は1時間28分で、現在でもカーマニアの間で「カルト クラシック」として語り継がれている。
SATELLITE FUNNY CAR
1975年2月号の『Super Stock & Drag Illustrated』の表紙を飾ったのは、 Dunn & Reath Plymouth Satellite Funny Car だった。「当時のマシンの中でも、最も洗練されていてコンパクトな一台だった」と、Jim Dunn は2000年に『National Dragster』のインタビューで語っている。ボディが持ち上がった状態の写真では、最新型の426 HEMIエンジンに切り替えられていることが確認できる。このエンジンには、Reath製の1/2インチストローカークランクシャフトが装着され、総排気量は484キュービックインチ(約7.9L)、2速トランスミッションが組み合わされていた。そして1977年には、このサテライトは「Dunn & Velasco」のエントリーとして参戦。Jim Dunnは長年の友人である Henry Velasco とタッグを組み、このマシンを走らせた。写真はその頃の OCIR での姿である。
REAR-ENGINED CAR FOUND AND RESTORED
最近になって、Dunn & Reathの rear-engined Barracuda Funny Car が発見され、修復された。この車は現在、Al Welch(カナダ、アルバータ州カルガリー出身)が所有している。
DUNN & REATH DIECAST
1320, Inc.の「The Floppers」ダイキャストシリーズの一部として、この1971年バラクーダ・ファニーカー(#1203)の1:24スケールの詳細なレプリカが生産され、限定5000台で販売されました。現在でも、eBayなどの場所で見つけることができます。
Author: James Maxwell
実際の記事(英語)は、こちらから写真付きでご確認いただけます。
https://www.dodgegarage.com/news/article/racing/2025/01/jim-dunn-drag-racing-legend.html
Jim Dunn Racing Legend Part 2 はこちら
https://www.mooneyes.co.jp/jim-dunn-drag-racing-legend-part-2/(日本語版)









